金子達仁

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    1: Egg ★@\(^o^)/ 2016/07/22(金) 13:17:32.61 ID:CAP_USER9
    バルセロナからメッシ、ネイマール、スアレスがいなくなったらどうなるか。あるいは、レアル・マドリードからクリロナ、ベンゼマ、ベイルがいなくなったら。
    もはや別のチームである。

    五輪サッカーは、だから難しい。これがW杯であれば、予選での戦いから本大会でのシステムなり実力なりを占うのは決して不可能ではない。
    突如として17歳の天才児が現れる、などということがない限り、チームの戦力はそんなに変わるものではないからだ。

    ところが、五輪サッカーでは3人のオーバーエージ枠が設けられている。
    言ってみれば3人の助っ人が加わるわけで、チームは、予選の時とはほぼ別物になっている可能性もある。よって、五輪サッカーの勝敗を占うのは、W杯よりはるかに難しいものなのだ。

    大きな大会が行われる際、わたしはブックメーカーのオッズを確認するのが常なのだが、さしもの予想のプロたちも、五輪サッカーにはてこずっているようだ。

    というのも、オッズの多少のズレはあれど、人気の順番に関してもどこもほぼ同じ場合が多いW杯と違い、五輪サッカーの人気はブックメーカーによってかなりの違いがある。

    日本が入ったグループBを見ても、あるブックメーカーがナイジェリアをグループの1番人気に推しているかと思えば、あるブックメーカーはコロンビアを推している。
    また、あるブックメーカーはスウェーデンが一番力が落ちると見ているが、あるブックメーカーでは日本の力がどん尻に違いないと踏んでいる。

    つまりは、どこがグループを勝ち抜けても不思議ではないし、どこが優勝しても驚きではないのが五輪のサッカーなのである。
    まして、今年のサッカーはレスターの優勝に始まり、アイスランドの躍進、ポルトガルのユーロ優勝など、何十年に一度あるかないかという大荒れの展開が続いている。
    リオ五輪でも本命ブラジルがそのまま優勝する、とはちょっと考えにくい。

    願わくば、大荒れの波に乗って日本も突っ走ってもらいたいものだが、カギを握るのは、やはりナイジェリアとの初戦ということになるだろう。

    96年のアトランタ以降、日本は5大会連続で五輪本大会に駒を進めているが、初戦を落としてからのカムバックは一度もない。
    初戦で負ければ、ほぼアウト。そんな歴史を考えれば、何が何でもナイジェリア相手に勝ち点をゲットする必要がある。

    ただ、ものは考えようで、もし初戦を落とし、それでも決勝トーナメント進出を果たせたとしたら、
    W杯を含め、日本サッカー界にとって最初の快挙ということになる。若い選手たちにとっては、目指し甲斐(がい)のある勲章ではないか。

    全敗もあれば全勝もある。それが、今回の五輪における日本の立ち位置だとわたしは見る。個人的な期待度は、4年前よりも、高い。

    (金子達仁氏=スポーツライター)

    http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/kaneko/2016/kiji/K20160721013008100.html

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    1: Egg ★@\(^o^)/ 2016/03/05(土) 09:55:42.54 ID:CAP_USER*.net
    公衆トイレにはその国の民度が表れる、というが、
    ならば、GKを見ればその国の土台がわかる、とわたしは思う。GKとは、育成のポジションだからである。

    わたしが子供のころ、スペインのGKは欧州の笑い物でしかなかった。フランス、ポルトガルのGKも相当にお粗末で、
    イングランドやドイツ、イタリアの守護神に比べると下手くそなアマチュアにしか見えない代表選手も時にいた。

    だが、バルセロナの成功に触発されるクラブが増えてくると、GKの産地には大きな変化が生じてきた。
    かつてお笑いでしかなかったスペインは、いつしかGKの輸出大国となり、かつて「GKファクトリー」とも呼ばれたイングランドからは、パタッと自前のGKが出てこなくなった。

    サッカー選手でありながら、GKの練習と本質はフィールドプレーヤーのそれとはまるで違う。
    必要なのは徹底した反復練習であり、感覚やひらめきといった曖昧な要素が入り込む余地はあまりない。よって、若いころからきちんとした教育、練習を積んでおけば、大きなアドバンテージとなる。

    つまり、GKを見ればその国の育成がうまくいっているかがわかるのである。

    いいGKを輩出するようになったスペインは、ついに世界王者となった。ベルギーやスイスといった小国も、一流GKが出てくるようになって侮れない存在となった。
    ドイツについては、あえて触れるまでもあるまい。育成システムの構築に出遅れたイタリアやイングランドとの差は明らかである。

    Jリーグの発足が決まったあたりから、日本のサッカーも本格的に育成に力を入れるようになった。
    するとどうなったか。創成期からしばらくの期間、Jリーグには高卒や大卒で即レギュラーとなるGKが続出したのである。
    彼らが、感覚や経験値でプレーしていたそれまでの世代とは違い、正しい練習を積んできていたからだった。

    ただ、ほとんどのJクラブにとって、GKがもっとも大切なポジションでなかったことも事実だった。
    ジーコやリネカー、リトバルスキーを獲得するクラブはあっても、シルトンやクレモンスを獲ろうとするクラブは皆無だったからである。

    なので、GKを愛するものとしては喜ぶべきことなのかもしれない。先週末開幕したJリーグで、実に多くの外国人GKがプレーしたことを。

    だが、日本のサッカーを愛する者としては、心配もしなくてはならない。創成期のJにも、韓国人の選手はいた。
    だが、韓国人のGKはいなかった。あの当時、日本の育成の方が韓国よりも優れていたからだとわたしは思っている。

    先週末、J1とJ2あわせて5人の韓国人GKがプレーした。高卒のGKが即レギュラーになるケースも、とんとご無沙汰な気がする。
    男子はリオへの切符を手にしたが、果たして、日本の育成は大丈夫なのだろうか。(金子達仁氏=スポーツライター)

    2016年3月3日
    http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/kaneko/2016/kiji/K20160303012146370.html

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    1: Egg ★@\(^o^)/ 2016/01/08(金) 09:19:11.05 ID:CAP_USER*.net
    スポニチ 2016年1月7日 金子達仁氏=スポーツライター
    http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/kaneko/2015/kiji/K20160107011818090.html

    毎年毎年この時期になると感じることを、今年もまた感じている。

    選手が、小さい――。

    高校野球を見ていると、そんなことはまるで感じない。昨年夏の話題をさらった清宮ジュニアに限らず、甲子園に出場してくるようなチームには、立派な体格の持ち主が必ず何人かいる。

    それだけに、高校サッカーに出場する選手たちに目を向けると、野球との違いに愕然(がくぜん)とさせられる。ひょっとしたら、わたしの知らないうちに日本人の平均身長は縮み始めているのでは、なんて気分にすらなる。
    とにかく、小さくて細い選手が多いのだ。

    もちろん、サッカーは体格の優劣を競う競技ではない。小さくても、細くても世界のトップクラスになることはできる。ただ、勘違いしてもらいたくないのは、小さいこと、細いことは決して武器ではない、ということである。

    とかく日本人の場合、小さな選手には許せることを、大きな選手には許さない傾向がある。それは、わたし自身も例外ではない。

    サッカー同様、野球も体格の優劣を競う競技ではない。ではなぜ、高校野球では少しも珍しくない大型選手が、サッカーではずいぶんとレアな存在なのか。
    さらに言うなら、なぜGKでは珍しくない1メートル80台の選手が、MFやFWになると極端に少なくなってしまうのか。

    指導者の意識が関係しているのでは、とわたしは思う。

    高校野球の指導者は、サイズのあることが武器になりうることを知っている。同じように、高校サッカーの指導者であっても、GKに関してはサイズが武器になることを知っている。

    だから、育てる。

    ところが、本来であれば高校野球同様、あるいはGK同様、サイズが武器になることもある攻撃的なポジションの選手に関しては、多くの指導者が小さな選手に対する偏愛ぶりを発揮する。

    大柄な選手が放つヘディングシュートより、小柄な選手が見せるドリブルシュートを重んじてしまう。小柄な選手が頭で点を決められないことは許せても、大柄な選手が巧みな足技を披露できないことは許せない。

    全体的な足技の技術に関して言えば、最近の高校生は間違いなくうまくなっている。ただ、ヘディングの技術に限ると、びっくりするほど向上が見られない。
    ストロングヘッダーとして期待できそうなアタッカーは、才能豊かな背番号10よりはるかにレアな存在である。

    結果としてついに本家を超える存在は現れなかったが、それでも、かつては釜本と似たタイプのFWがいた。指導者たちが二世を育てようとしたから、である。だが、近年では亜流すら生まれなくなってきた。

    日本代表の得点力不足、むべなるかな、である。

    [選手権]出場校一覧&全チーム紹介
    http://web.gekisaka.jp/news/detail/?173547-173547-f

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    1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2015/09/06(日) 15:51:41.63 ID:???*.net
    湘南ベルマーレの大倉智社長をインタビューして、スポーツライターの金子達仁はどう感じたか。
    市民クラブの視点を通して、Jリーグの問題点を考える。
    .
    Jリーグのために、日本代表の試合を専用スタジアムに限定すべき

    ──湘南ベルマーレの大倉智社長は、勇気を持って市民クラブが直面している現実を語ってくれました。
    やはり、クラブ側も規制緩和を求めているんですね。

    金子:当然でしょう。それは沖縄でFC琉球の経営に携わっていたからすごくわかる。
    Jリーグのお手本となる市民クラブの社長が、今のままでは未来がない、ということをはっきりと言ったのは大きいよ。

    企業名解禁やホームタウン内のスタジアム移転など、そういう自由な発想って今のJリーグに一番必要なことだと思う。
    思考停止になってしまっている印象があるから。

    逆に言うと、厳しい条件を乗り越えて生き抜いているからこそ、いろいろな発想が生まれているのだなとも思った。
    ベルマーレのスタジアムに活気があるのも、そういう背景があるのかもしれない。

    3: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2015/09/06(日) 15:52:24.52 ID:???*.net

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    1: Pumas ★@\(^o^)/ 2015/04/24(金) 22:37:29.37 ID:???*.net
    ずいぶんと昔、ドーハで韓国人記者に言われたことを思い出した。「日本の選手はまるでカニだな。横に進むばかりだ」

    まだJリーグは生まれたばかりで、韓国人のJリーガーは広島に1人いるだけ、という時代だった。
    日韓のサッカーが混じり合うことはほとんどなく、双方の国は、互いの影響をほとんど受けることなく、自分たちのスタイルで戦っていた。
    日本人選手を「カニ」と評した記者の国のサッカーが、わたしには「香車」ばかりの単調なものに感じられた。

    「結局のところは球際。試合前も球際で強くいけば日本は何もできないから、という指示が出る」

    前日のスポニチに、ACLで浦和を敗退に追い込んだ水原・鄭(チョン)大(テ)世(セ)のコメントが載っていた。
    彼が言っていることは、基本、20数年前に韓国人記者が言っていたのと同じことだと思う。球際を強く、激しく行けば、大半の日本人選手は安全第一
    ――横か後ろにボールを動かすことを選択する。相手からすれば、急所を衝(つ)かれる危険性が大幅に減少するわけだ。

    では、日本はどうするべきなのか。

    鄭大世は、ハリルホジッチ監督が球際の強さを求める発言をしていたことを評価していたという。
    相手から「何もできない」とまで言われてしまうような弱点を修正しようとするのは、当然の発想でもある。

    ただ、球際の強さにこだわるばかり、自分たちの特色、武器を放棄してしまっては本末転倒になる。
    20世紀後半から21世紀初頭にかけての一時期、日本サッカーが韓国を大きく引き離したと見られる時期があった。

    あの時、日本サッカーは「カニ」であることをやめたのか。否。良くも悪くも安全第一に走りたがる傾向は変わっていなかった。
    にもかかわらず韓国を圧倒できるようになったのは、攻める時間と機会を相手に与えなくなったから、だった。
    端的に言えば、MFたちの技量が韓国を圧倒していたのである。

    先週も書いたが、ここ数年、日本のサッカーは中盤にタレントを揃(そろ)えていた時代から、前線に粒が揃う時代へと移行しつつある。
    ゴール前で素晴らしい才能を見せる選手が珍しくなくなった半面、中盤のアーティストは確実に減少傾向にある。

    日本のサッカーが球際に弱く見えるのは、日本サッカーが球際に弱いからではなく、強度のプレッシャーに耐えうる技量のMFが減ったからではないか、とわたしは思う。

    球際の強さに勝機を見いだすのは、もちろん正しい。けれども、球際の弱さを補う方法もサッカーにはある。
    理想は、Jリーグの中にまったく異なる道を目指すチームが混在するようになること。

    異質なものに対する対処能力の不足は、球際の弱さ以上に深刻な、日本サッカーの弱点だからである。

    (金子達仁氏=スポーツライター)
    http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/kaneko/2015/kiji/K20150424010229990.html

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    1: 動物園φ ★@\(^o^)/ 2015/01/27(火) 10:28:20.02 ID:???*.net
    “挽回可能な痛手”敵地での試合を増やせ

     「マイアミの奇跡」と呼ばれたアトランタ五輪の日本対ブラジル戦。両者の間には圧倒的な力の差があり、ゆえにGK川口能活はシュートの嵐にさらされた。

     けれども、あの日ブラジルが放ったシュートの数は、この日の日本がUAEに見舞ったものよりも少なかった。

     90分で30本。

     よほどの力の差がない限り、これほどのシュートは打てるものではない。ところが、さほど力の差はないチームを相手に、この日の日本はこれだけのシュートを見舞った。シュートの数だけではない。決定機も数えきれないほどあった。だから「estoy contento(わたしは満足している)」というアギーレ監督の言葉は、わからないでもない。

     惜しむらくは、完全に勝つ意欲を放棄していた延長に入ってからのUAEを、もう一歩追い
    込もうとしなかったということだろう。中2日での試合。疲れがあったのはわかる。だが、
    耐えに耐えて、にもかかわらず追いつかれてしまった相手の忍耐度は、木の葉一枚が落ちただけで
    溢(あふ)れそうなコップのような状態だった。

     PK戦はサッカー選手にとってのロシアン・ルーレット。勝ち負けは運任せの部分が大きいが、
    自分たちの運命をそんなものに委ねるのは絶対に嫌だ、という意思のようなものが感じられない
    のは残念だった。

     とはいえ、1次リーグから注目を集めていた若き才能たちを、終始一方的に追い込んだことを、
    わたしは高く評価したい。1点しか奪えなかったことは予想外だったが、これほどまでに圧倒できるとは、実は思っていなかった。

     あれほどチャンスを作りながら1点しか奪えなかったとなると、必ず出てくるのが「決定力不足」「ストライカー不在」といった言葉である。否定はしない。だが、嘆いたところで現代表の問題点は解決しない。

     ここまでの試合ではほとんど気にならず、しかしこの日は痛感させられてしまったのが、パスコースのかすかなズレだった。走っている味方のスピードや体勢に無頓着なパス――受け手が一瞬勢いを減じなければならないパスが、日本の場合、まだまだ多い。そして、これは個人の意識次第で改善できる問題である。

     ともあれ、これで連覇の夢は断たれ、コンフェデ出場への道も消えた。日本は、貴重な真剣勝負の機会を失ったことになる。コンフェデに出ていてもW杯で勝てなかった日本は、今後、どうするべきなのか。

     敵地での試合を増やすしかない。  欧州か。アメリカ大陸か。とにかく、日本のゴールデンタイムに試合時間を合わせるなどと
    いうことはせず、できる限りアウェー感を味わえるマッチメークをしていくしかない。

     この負けはもちろん痛い。だが、協会の考え方次第によっては挽回可能な痛手でもある。
    (金子達仁氏=スポーツライター)

    http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/kaneko/2015/kiji/K20150126009698490.html

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    1: ぽてぽんφ ★@\(^o^)/ 2014/11/29(土) 07:08:58.11 ID:???0.net
    「キャセロール」の閉店もショックだったが、この「愛川屋」の閉店もめちゃくちゃショックだった。
    ミートミックスカレーはせいぜいひと月に1回食べるか食べないかだが、以前にも書いたように、我が家の食卓におけるおでんはサッカーで言うところのペレであり、阪神タイガースで言うところのバース様であり、つまりは絶対に欠かせない献立の大黒柱なのである。

    幸い、ついに後継者の現れなかったペレやバース様と違い、「愛川屋」の代替店はすぐに見つかった。
    ネットで検索したところ、クルマで10分ほど行ったところにある商店街の中に、「小川屋」というおでん種専門店が明らかになったのである。早速出かけていってしこたま買い込んでみると、これがまた実にうまい。「愛川屋」にはなかった、ピリッと辛味の効いた種もあって、ま、ペレではないがマラドーナな感じなのである。

    ちなみに、個人的にはそれほどショックではないのだが、ヨメ的には大打撃を受けてしまったニュースもあって、それは家の近所にある子ども服専門店の閉店だった。
    プーマのジャージとシューズさえあれば満足のご主人様と違い、我が家のお坊っちゃまは母親がおしゃれの限りを尽くさせていた。ラインアップの基本線となっていたのは、近所で売っていた「PUTITON」とかいう子ども服である。ところが、「キャセロール」「愛川屋」の閉店とほぼ時を同じくして、こちらのお店もあっさりと店じまいをしてしまった。

    これって、俺のせいかも。

    自慢ではないが、スポーツライター・カネコタツヒト、雑誌を廃刊に追い込むネガティブパワーには相当なものがある。
    極めて残念なことに、連載を持たしてもらった雑誌で現在もつぶれずに残っているのは、スポーツ雑誌の「Number」、ヘヴィメタ雑誌の「BURRN!」ぐらいしかない。あとは、み~んなお亡くなりになってしまった。

    まさか、その邪悪なパワーがお店にまで影響を及ぼしてしまったのか。日経DUALで取り上げたことで、不吉な運命をおびき寄せてしまったのか――。ま、そんなことはないわな、と信じたいわたしではあるが、万が一、今回紹介した「小川屋」が消滅するようなことがあれば、マジで二度とお店の具体名は出さないようにすることを誓います。
    (全文)
    http://www.nikkei.com/article/DGXMZO79423440X01C14A1000000/

    【【デスライター?】金子達仁さん「(連載した)雑誌をことごとく廃刊に追い込んでる」】の続きを読む

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    1: Egg ★@\(^o^)/ 2014/11/08(土) 19:58:41.98 ID:???0.net
    ドイツのスタジアムは日々進化と変化を続けている。トイレの数が増えたスタジアムがあれば、場内での支払いがすべてプリペイドカードになったところもある。
    それに比べて、なぜ日本のスタジアムは劣化を重ねていくだけなのか――以前、そんなことを書いた記憶がある。

    実を言えば、書きながら諦めていた部分もあった。かたや石の文化、かたや木の文化。着工以来100年以上たってもまだ完成に至らぬ教会がある文化圏と、造られた当時の姿を守ることに力を注ぐ文化圏。スタジアムに対する考え方に違いが出てくるのも、当然と思う部分があったからだ。

    それだけに、喜ぶべきなのか、それと失望すべきなのか、迷っている。

    なぜ行ったのか――理由は思い出したくもないが、先週、3日間ほど博多に行ってきた。11年ぶりに足を踏み入れたヤフオク・ドームで、わたしは愕(がく)然(ぜん)とした。

    新しくなっている!

    それは、欧州のサッカー場では珍しくなくとも、日本のサッカー場ではまず味わうことのない感覚だった。

    わたしの覚えているヤフオク・ドームは、スタンドとフィールドの距離が遠い、うすらデカイばかりで臨場感の乏しい、典型的なドーム球場だった。
    はっきり言えば、博多の森にあるサッカー場の方がずっと好みだった。

    ところが、11年ぶりに訪れてみると、印象がまるで違う。場内ビジョンはびっくりするほどに巨大化しており、おかげで、野球にありがちな“間”を、観客は退屈せずに過ごせるようになっていた。場内での飲食も郷土色豊かなものになっており、試合を見るだけでなく食べる楽しみも満喫できる。
    米国や欧州の優れたスタジアムがそうであるように、ヤフオク・ドームもまた、単なる競技場ではない、総合型エンターテインメント劇場とでもいうべきものに変貌を遂げていた。

    サッカー界ではできていないことが、野球界ではできていた。

    改めて考え直してみれば、たとえば日本の鉄道は世界最高レベルにありながら、乗客の利便性をより追求すべく、さらなる日進月歩を続けている。
    日本であっても、鉄や石に変化を加えていくことは十分に行われていたのである。

    ではなぜ、日本のサッカー場は野球場ほどの変化と進化を遂げることができないのか――そう考えると、失望の念が込み上げてくる。
    鉄道よりも、野球よりも、日本のサッカーははるかに軽いのだということを思い知らされたような気がして。

    来年、ヤフオク・ドームはさらなる改修を行い、外野スタンドの形状を一新させるのだという。
    似たような話がとんと出てこないサッカー界の現状が、あまりにも悲しく、寂しい。(金子達仁氏=スポーツライター)

    http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/kaneko/2014/kiji/K20141107009243080.html

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    1: レコバたんヽ(゜∀。)ノφ ★@\(^o^)/ 2014/08/05(火) 03:03:26.15 ID:???0.net

    いまや、選手生活の晩年を過ごす場として日本を選ぶ選手はほぼ皆無となった。
    というより、Jリーグの側に、スターを取りにいこうという発想がなくなってしまっている。

     先日、インド・リーグでプレーしている知人と会った。
     「凄いことになってますよ。今度スーパーリーグっていうのが発足するんですけど、スペイン代表のルイス・ガルシアとか、かなりの大物がきますから」
    中略
     率直に言って、インドのやり方は代表チームの根幹たる国内リーグを滅ぼしかねない危険と、1国1協会を重視するFIFAの規約に抵触している可能性もあるが、それでも、昨今のJリーグからは大幅に失われてしまった、「サッカーは興行である」という哲学が強くある。
    中略
     バルセロナは世界で最も美しいサッカーをするチームの一つだが、このオフ、ウルグアイのスアレスを獲得した。例の噛(か)み付き騒動の罰として、数カ月間はプレーできない選手を、なぜバルサは獲ったのか。興行だから、である。サッカーが美しいだけではお客さんは見に来てくれない。常に新しい客寄せパンダが必要だということを、彼らは熟知しているのだ。

    以下略全文はリンク先参照してください
    http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/kaneko/2014/kiji/K20140801008669500.html

    【Jから失われた「サッカーは興行」という哲学 金子達仁】の続きを読む

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    1: ぽてぽんφ ★@\(^o^)/ 2014/07/17(木) 14:08:07.18 ID:???0.net
    今年の春、フィリップ・トルシエはマレーシア代表監督にほぼ内定していた。
    金銭的な条件に問題はまったくなかった。何しろ、昨年FC琉球から月15万円程度しかもらえていなかったマレーシア人選手を、年俸3000万円で引き抜いていく経済力がかの国にはある。
    スタッフの顔ぶれについても、ほぼすべて要求は通っていたという。
    にもかかわらず、土壇場でトルシエは監督就任を断った。
    「アジアNo・1になるのがノルマ。協会の会長からそう言われたんでね」

    ここ10数年、マレーシア経済界は急激な右肩上がりを続けている。夢物語にしか思えなかった
    「20年には先進国の仲間入りをする」という目標も、少しずつ現実味を帯びてきた。
    国全体にみなぎる自信は、間違いなくサッカー界にも波及してきている。
    とはいえ、アジアの頂点に立つためには、日本を倒さなければならない。
    韓国を、オーストラリアを、中東の強豪を、すべて倒さなければならない。目指すべき目標としては尊くても、
    ノルマとなれば話は別――そう考えたがゆえに、トルシエは断った。
    日本サッカー協会は大丈夫だろうか。
    本田たちが掲げてきた「世界一になる」という目標は、マレーシア人がアジア一を目指すよりはるかに大それた目標である。現場とフロントの意識のズレは、後に深刻なトラブルを生むことが多い。
    そのことをよく知るトルシエはマレーシア協会からの依頼を断ったが、日本サッカー協会は次期監督にどんなノルマを課そうとしているのか。

    W杯の連敗記録保持国でもあるメキシコの人たちは、日本人以上にW杯の厳しさを知っている。
    一方で、世界で初めて2度目のW杯を開催したサッカー大国だという誇りもある。
    そんな国から来た監督にとって、世界一を目指すという日本人の言葉は、サッカーに対する無知と傲慢
    (ごうまん)の極みとしか思えないかもしれない。
    振り返ってみれば、本田たちが世界一を公言するようになってからも、ザッケローニ監督の口から優勝という言葉が出たことはなかった。
    おそらくは、高い志を持つ必要性を知りつつ、口にするのはおこがまし過ぎる、といった気持ちがあったからだろう。共通認識としての目標を持てていないチームは、結局、最後まで一体感を醸しだしてはくれなかった。
    わたしは、世界一を公言した本田の勇気を高く評価している。
    一方で、それが途方もなく荒唐無稽なホラ話と受け取る外国人が多いこともわかる。
    協会は、どちらのサイドに立つのか。うやむやの見切り発進は、監督と選手との間に、深刻な衝突を生むことになるだろう。
    (金子達仁=スポーツライター)
    http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/kaneko/2014/kiji/K20140717008580210.html

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