1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2015/10/25(日) 17:58:25.18 ID:???*.net
どんよりとした曇り空が続き、日中の気温が10度に届かない日も多い10月の欧州。そんな環境の中、オランダのエールステディビジ(2部リーグ)に所属するVVVフェンロの日本人コーチ藤田俊哉氏が選手たちに向かって熱心にアドバイスを送っていた。練習開始前から選手を個別に呼んで身振り手振りで指示を与え、練習中も一つひとつのメニューがインターバルに入るたびに数人に声をかけていく。
まさにコミュニケーションを重視する指導者……。そんな印象が彼には相応しいようだ。
90年代後半から2000年代前半にかけてジュビロ磐田の黄金期を築き、2001年JリーグMVPに輝き、日本代表でもプレー経験のある藤田氏。その彼が異国で指導者の一歩を踏み出そうと決意したのは「過去に前例のないことに挑戦したい」と考えたから。名古屋グランパス時代の恩師であるセフ・フェルホーセン監督の推薦もあり、彼と良好な関係を築いていたVVVのハイ・ベルデン会長がバックアップを約束。VVVでコーチとしてのキャリアをスタートさせることになったのだ。
藤田氏が海を渡ったのは2014年1月。当初は2013年5月の引退試合の後、8月からのオランダ行きを予定していたが、就労ビザ取得というハードルにぶつかった。「今となればどうすればいいか分かるし、そんなに難しいことではないけど、その時は情報もないし、本当に大変だった。選手時代は当たり前にビザが出るものだと思っていたので、ギャップは大きかったですね」と彼は述懐する。
その問題にメドがつき、VVVのトップコーチとして働き始めたが、最初の半年間は「トライアル期間」と
位置づけられた。
「海外指導者の枠は、選手に比べてはるかに狭き門。オランダのクラブならオランダ人のコーチを雇えばいいし、あえてアジア人を使う必要はないですから。オランダ人の指導者だって、アマチュアクラブから初めて10年がかりで1部や2部のトップコーチになる人が少なくないんです」
「そんな環境に僕みたいな外国人が入っていこうと思うなら、語学はできて当たり前。意思疎通に不安がある状態で指導するのはやはり難しい。僕自身も完璧とは言えない英語でコミュニケーションを取っていますけど、中途半端なオランダ語で教えるよりはいいと思っています。加えて、コーチングスキルや選手へのうまいアプローチの仕方、選手時代の実績や知名度なんかも必要でしょう」
「僕がオランダで指導してまず感じたのは、常日頃からイエス・ノーを鮮明にしないと選手たちがついてこないということ。欧州ならではの特性を学びながら、現地に適応しようと努力したつもりです。そういう能力も含めて、総合的に判断されたんでしょうね」と藤田氏はしみじみ語っていた。
そして2014年夏、指揮官がマウリス・スタイン現監督に変わるのと同時に、彼はトップコーチとして正式に認められた。それから仕事の範囲は着々と広がり、3シーズン目となる今季は居残組の練習などチーム運営の一部を任される一方、相手のスカウティング、監督のフォローなどさまざまな役割をこなすようになった。
「トシヤはナイスガイでよく頑張っている。言葉の部分も指導スキルも日に日に向上しているし、本当に信頼できるコーチだよ」とスタイン監督は太鼓判を押していた。
そんな指揮官の一挙手一投足を近くで見れば見るほど、監督とコーチの違いを痛感する日々だと藤田氏は言う。
「監督は全ての判断を下し、責任を取る人。コーチである自分はその監督のためにベストを尽くすのが仕事です。僕は選手との距離感を意識的に近づけていますけど、それも監督と選手たちの関係をスムーズにしようと考えているから。スタメンや戦術を決めるうえで意見を求められる場面も増えてきたので、自分なりの主張もします。だけど、やっぱり最終決定権者は監督。自分もその立場を担えるようになりたい。そのために、チームの勝利を大前提にしつつ、自分のサッカー道をひたすら極めていけないといけないですね」
と彼は語気を強めた。
そこに至るうえで、藤田氏にはさらに1つの大きなハードルがある。それが指導者ライセンスだ。
藤田氏は2013年に日本サッカー協会公認S級指導者ライセンスを取得したものの、欧州では「UEFAプロライセンスと同格ではない」という見方をされているのだ。
まさにコミュニケーションを重視する指導者……。そんな印象が彼には相応しいようだ。
90年代後半から2000年代前半にかけてジュビロ磐田の黄金期を築き、2001年JリーグMVPに輝き、日本代表でもプレー経験のある藤田氏。その彼が異国で指導者の一歩を踏み出そうと決意したのは「過去に前例のないことに挑戦したい」と考えたから。名古屋グランパス時代の恩師であるセフ・フェルホーセン監督の推薦もあり、彼と良好な関係を築いていたVVVのハイ・ベルデン会長がバックアップを約束。VVVでコーチとしてのキャリアをスタートさせることになったのだ。
藤田氏が海を渡ったのは2014年1月。当初は2013年5月の引退試合の後、8月からのオランダ行きを予定していたが、就労ビザ取得というハードルにぶつかった。「今となればどうすればいいか分かるし、そんなに難しいことではないけど、その時は情報もないし、本当に大変だった。選手時代は当たり前にビザが出るものだと思っていたので、ギャップは大きかったですね」と彼は述懐する。
その問題にメドがつき、VVVのトップコーチとして働き始めたが、最初の半年間は「トライアル期間」と
位置づけられた。
「海外指導者の枠は、選手に比べてはるかに狭き門。オランダのクラブならオランダ人のコーチを雇えばいいし、あえてアジア人を使う必要はないですから。オランダ人の指導者だって、アマチュアクラブから初めて10年がかりで1部や2部のトップコーチになる人が少なくないんです」
「そんな環境に僕みたいな外国人が入っていこうと思うなら、語学はできて当たり前。意思疎通に不安がある状態で指導するのはやはり難しい。僕自身も完璧とは言えない英語でコミュニケーションを取っていますけど、中途半端なオランダ語で教えるよりはいいと思っています。加えて、コーチングスキルや選手へのうまいアプローチの仕方、選手時代の実績や知名度なんかも必要でしょう」
「僕がオランダで指導してまず感じたのは、常日頃からイエス・ノーを鮮明にしないと選手たちがついてこないということ。欧州ならではの特性を学びながら、現地に適応しようと努力したつもりです。そういう能力も含めて、総合的に判断されたんでしょうね」と藤田氏はしみじみ語っていた。
そして2014年夏、指揮官がマウリス・スタイン現監督に変わるのと同時に、彼はトップコーチとして正式に認められた。それから仕事の範囲は着々と広がり、3シーズン目となる今季は居残組の練習などチーム運営の一部を任される一方、相手のスカウティング、監督のフォローなどさまざまな役割をこなすようになった。
「トシヤはナイスガイでよく頑張っている。言葉の部分も指導スキルも日に日に向上しているし、本当に信頼できるコーチだよ」とスタイン監督は太鼓判を押していた。
そんな指揮官の一挙手一投足を近くで見れば見るほど、監督とコーチの違いを痛感する日々だと藤田氏は言う。
「監督は全ての判断を下し、責任を取る人。コーチである自分はその監督のためにベストを尽くすのが仕事です。僕は選手との距離感を意識的に近づけていますけど、それも監督と選手たちの関係をスムーズにしようと考えているから。スタメンや戦術を決めるうえで意見を求められる場面も増えてきたので、自分なりの主張もします。だけど、やっぱり最終決定権者は監督。自分もその立場を担えるようになりたい。そのために、チームの勝利を大前提にしつつ、自分のサッカー道をひたすら極めていけないといけないですね」
と彼は語気を強めた。
そこに至るうえで、藤田氏にはさらに1つの大きなハードルがある。それが指導者ライセンスだ。
藤田氏は2013年に日本サッカー協会公認S級指導者ライセンスを取得したものの、欧州では「UEFAプロライセンスと同格ではない」という見方をされているのだ。
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